石川良一さんの遺志を継いで
都議選挑戦への決意

私、岩佐ゆきひろは、29歳の時に稲城市議会議員になり、一昨年の市議会議員選挙で4期目の当選を果たしました。
そしてこの度、昨年、道半ばにして病に倒れ、帰らぬ人となった元稲城市長の石川良一都議の遺志を継ぎ、来る東京都議会議員選挙に挑戦することを決意しました。
尊敬する石川さんとの出会いは、私が市議会議員選挙に出る直前のことでした。
その際、石川さんから「まず議員は、自ら歩いて、多くの市民の声に耳を傾け、困っていることや悩んでいることなど、それぞれの問題を市政に届けるパイプ役にならなければいけない」と激励されました。
私が9歳のころ、石川さんは当時38歳、全国最年少市長として稲城市長選に初当選したばかり。そのころの私にとって、石川さんは若くて格好いいヒーローのような存在でした。その石川さんから、出馬に際し直接励まされた時は、跳び上がるほどうれしかったことを覚えています。
石川さんは5期にわたり市長を務め、私が住んで育った向陽台地区をはじめ「美しい街づくり」を進めた業績は、皆様、ご存知の通りです。
さらに私は36歳の時、4番目の子供が生まれた直後に、脳梗塞で倒れました。心身ともにどん底の状態で不安がいっぱいの入院生活を送っていたときです。
石川市長が一冊の本を持ってお見舞いに来てくださったのです。
手渡された本は、吉野源三郎の名著「君たちはどう生きるか」でした。
私は、その本の中で母親が息子に言った「たとえどんなに苦しいことがあってもその経験を忘れてはいけないの。これからの長い道のりの中できっと何度も背中をおしてくれるから」という言葉に胸を打たれ、辛いリハビリを必死の思いで耐え、半年で仕事にも復帰する事が出来ました。あの本との出会いを作ってくれた石川さんには感謝しかありませんでした。

また、石川さんが都議会議員になってからは「議員同士、一緒にやろう」と言って頂き、近くで多くのことを学ぶことが出来ました。
多摩ニュータウンが抱える問題や多摩地域の格差、地方分権、議会改革の必要性など、政治のことだけではなく、人としてのあり方や幅広い視野に立って物事を見ることの重要性など、学んだことは多岐にわたります。
ある日、都庁からの帰りに石川さんと二人で夕飯を食べたとき「昔は人生50年だったけど、今は仕事人生50年だな」「50年は何もしないと長すぎるし、何かをやり遂げるには短すぎる」という話しが強く印象に残っております。
石川さんは30歳で市議になって、昨年6月、72歳で亡くなるまで42年間、第一線で活躍し、猛スピードで駆け抜けてきました。この後の8年間、石川さんは何をやり遂げたかったのか、やり残したことは何なのか、その答えを、政治家としての石川さんの生き方に学び直しながら、自分なりに探していきたいと思っております。
いつも全力で弱音をはかず、どんなことでも挑戦してきた石川さんは、また究極の負けず嫌いでした。そして大変な努力家でもありました。最後まで諦めず、弱音をはくことなく、病気と闘い続けた姿には、人間としての本当の強さを見た思いがしました。
石川さんから最後に言われた言葉は「もっと勉強しろ」でした。政治家は「誰かの言ったことを鵜呑みにせず、自分の足で歩いて学んで、考えて、答えを出して行くことが一番大事なことだ」と言われました。
私はこれらの言葉を肝に銘じ、石川さんの志を継いで、石川さんが愛した多摩・稲城の街の発展のために都政に挑戦します。まだまだ微力な私ですが、石川さんが示した政治家としての「覚悟」を持って「住み続けたい街、美しい街の多摩・稲城」を創ってまいりたいと思います。
何卒よろしくお願い致します。
